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独身貴族「カルさん」が音楽やアーティストについて独断と偏見で書きなぐっているブログ「カルチャータイム」です。否定も肯定も全てはアーティストへの愛を根底としています。

「BRAHMAN」はもう“神”という言葉が相応しくないバンドになったなって話

とにかく社会人になると色々と制約が多い。その1つが会話の内容だ。社会人になって上司や同僚、取引先の人間にしてはいけない話題として有名なのが、「政治」「宗教」「野球」の3つなんて言われている。

 

その理由としては、どれを取っても人々の思想が色濃く反映される内容であるため、会話がヒートアップしてしまう可能性が高く、結果、口論などに発展し、人間関係を崩壊させてしまう恐れがあるからだ。

 

しかしながら、そんな説にも大きな矛盾がある。

 

個の個性が大いに反映されるであろう「AV」や「性癖」と言った話題に対しては意外にも寛大な人々が多く、仮に議論が白熱しようともピースフルな空気が場を包み込み、遺恨の「い」の字も残す事無く笑顔でサヨナラを言い合えるのだ。

 

こういった話題が上司や同僚、取引先と平然と出来る環境こそが平和への第一歩に繋がるのではないだろうかと、筆者は常々考えている。

 

と、いうわけで「セクハラ訴訟」や「女性の地位を守る会」を恐れぬ皆さんは、是非とも上記の参考にしてもらいたい。

 

本日はそんな会話のタブーに臆することなく、「神」と呼ばれたバンド、いや「神」と呼ばれていたバンド「BRAHMAN(ブラフマン)」について書かせていただこう。

八百万の神が存在しているロック界

Electric Ladyland-Remastered

優れた功績を残した人物に対し、敬意を表すべく〇〇の神様なんて呼び方をする場面をよく見かける。

 

例えば野球業界でいえばベーブルースだったり、プロレス業界でいえばカールゴッチだったり、アダルト業界でいえば加藤鷹だったりと、業界の知名度や規模などに左右されること無く等しく神は存在しているのだ。

 

当然、我らが愛するロック界にも多くの神が誕生しており、日々、リスナーたちの信仰を集めているのだが、必ずしも全てのリスナーにとって神が共通しているわけではない。

 

そもそも音楽なんてもんの好み自体が個人の趣味趣向で決定される曖昧なものであるし、生きる時代によって主流のジャンルにも違いがある。

 

パンクの神様と称されるシド・ヴィシャスの偉大さを現代のキッズ達にどれだけ説明しようとも、その時代をリアルタイムに体験していないキッズたちには共感することが難しいですよね。そういった理由もあり、リスナーの世代や趣味趣向によって神と呼ばれるミュージシャンに違いが出ているのだ。

 

AIR JAM世代から神と崇められるバンド「BRAHMAN」

https://cdnx.natalie.mu/media/news/music/2015/0612/BRAHMAN_art20150612_fixw_730_hq.jpg

画像引用URLBRAHMANの20年たどる書籍発刊、細美武士らインタビューも - 音楽ナタリー

 

 三十代半ばの邦楽ロック・リスナーの皆様に若き頃に崇拝していたミュージシャンは?なんて質問をした場合、やはり世代的に国内メロコアバンドのパイオニア的な存在であるHi-STANDARDと答える人が多いのではないだろうか。

 

中にはLUNA SEAって答える人も多いかもしれないけど、自分自身がバンドを組む切っ掛けを与えてくれたバンドって考えた場合、圧倒的にハイスタって答える人が多いのかなと筆者は思う。なんかハイスタを聴いてから一気に“バンド”って言葉が近づいた気がするんだよね。

 

そんな世代の人達に「神に一番近いバンドは?」なんてブッ飛んだ質問をしたら、きっと皆さん「BRAHMAN」と答えてくれると筆者は信じている。

 

先程も説明したように、ロック業界には偉業や時代の変革を担った多くの「神様」が存在している訳なんだけど、BRAHMANって当時のキャリアはまだまだ偉業と言えるレベルでもなかったし、インディーズ・バンドブームの筆頭ではあるけど、あくまでインディーズのお話だし、今のワンオクの方がなんか凄い感じで物事が進んでいる気もしてしまうんですが、なぜだか彼らの存在ってやっぱり神様なんです。

 

いや神様ではなく、もっとこう乱暴な言い方で「神」って感じ。バンドの結成自体は1995年とハイスタよりも遅いスタートなんですが、瞬く間に多くのリスナーたちの心を掴み、トップバンドの仲間入り。気がつけば時代を代表するバンドとなりました。

 

そもそも彼らの人気が高まりだした時代って、とにかく情報収集の難しい時代だったんです。YOUTUBEもなければインターネットの普及率も低く、活動もインディーズ。当然、TVなんて出る訳もなく、BRAHMANってバンドの知名度を全国に広げたのは、ほぼ口コミ。友人や先輩から『A MAN OF THE WORLD』をオススメされたり、ライブの凄さを聞かされたって人も多いのではないでしょうか?

 

そんな好奇心をくすぐるミステリアスなバンド像って、現代のような情報過多な時代ではなかなか難しいですよね。そんな部分もまた神格化につながっていたのかもしれません。

 

ですが、こういった口コミを介して全国に名を広めたインディーズバンドは、ブラフマンだけという訳ではありません。先に紹介したハイスタやケムリ、ココバットやハスキン、ヌンチャクなどなど、名前を挙げだしたらキリが無いのです。

 

しかし「神」という言葉が相応しいバンドと言ったら、やはりブラフマンが筆頭だと筆者は考えています。その理由は、やっぱりあの独自の音楽性ですよね。

何とも言えない神々しさを纏う「BRAHMAN」というバンドの音楽性

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ジャンルとしてはパンクやハード・コアとカテゴライズされる事の多いBRAHMANではあるが、民族音楽や民謡をハード・コア/パンクと融合させたオリジナリティ溢れる音楽性は、当時の国内では唯一無二の完全独走状態。当時主流であった西海岸系のメロディックなパンクサウンドやハード・コアとも違う、何とも特殊な独自性の高い音楽性であった。

 

しかしながら、改めて世界を見回してみると、こういった音楽性を持つバンドは意外にも多く、民族楽器やリズムをメタルと融合させた「Sepultura」や、仏教に対する信仰をハード・コアサウンドに昇華させた「SHELTER 」などなどが存在している。後者のバンドはBRAHMANの音楽性にも多大な影響を与えたとも言われており、SHELTERのジャパンツアー開催時には、オープニングアクトとしてBRAHMANが帯同している。

 

以上のように海外バンドのインスパイヤなどもあったかもしれないが、BRAHMANというバンドの音楽性は“猿真似”という訳ではなく、独自の解釈よって洗練されたものであり、まさに「BRAHMAN」という仏教的な意味合いを持つバンド名に相応しい、オリエンタルかつスピリチュアルなスケールの大きいサウンドだ。

 

こういった音楽的な特徴もまたBRAHMANを神格化させた要因の一つなのだが、宗教思想のみばかりを押し出した“穏やか”なモノばかりという訳ではなく、思想として相反する可能性の高い自らのルーツであるパンクやハード・コアなど攻撃的な側面も共存させるというレンジの広さも持ち合わせている。

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3rdアルバム『THE MIDDLE WAY』に収録されている『THE VOID』なんてまさにそれ。もう音の暴力団。流石はJROCK界の鬼バンド。アルバム開始早々超衝動的。そんなシンプルさがあったからか?2曲目に収録されている『LOSE ALL 』の緩やかで壮大なイントロが冴える冴える。こんな超衝動的かつ暴力的な楽曲もBRAHMANの魅力である。 

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2ndミニ・アルバム『WAIT AND WAIT』に収録されている『ROOTS OF TREE』 。こちらの動画は再録版のため、当時のニュアンスとは少しばかり違いがあるのだが、穏やかというか煢然たるBRAHMANの一面を感じることができる。アジアンチックなギターの旋律に心地よいベースライン、躍動感あるドラミング、それら全てを包み込む力強くも何処か寂しげな歌声。90年台に聴こうが2000年台に聴こうが変わることのないのノスタージな楽曲はリスナーの心の奥底に響き渡る。

神をやめたバンド「BRAHMAN」

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エキゾチックな民族音楽と攻撃的なハード・コア・サウンドが織り交ざった唯一無二のBRAHMANの音楽性は、どこか神秘的であり宗教的でもある。

 

そんな音楽性と彼らの孤高なスピリッツがBRAHMANというバンドを神格化させていた訳なのだが、気がつけばここ最近の彼らは日に日に人間臭くなっているのだ。

 

転機となったのは2013年の未曾有の大災害と思われるのだが、神などと崇められていた彼らとの距離感がグッと縮まったような気がする。

 

時には世論に怒りをブチ撒けたり、オーディエンスに世の疑問を問いかけたり、ただただ温かみのある言葉を送ったりと、神とは言い難い人間味溢れた姿を見せてくれているのだ。

 

2018年にリリースされた最新アルバム『梵唄-bonbai-』には、彼らのそんな変貌の全てが収められている気がする。『不倶戴天』では果てしない怒り、『今夜』では人間として生きてきた軌跡など、円熟期を迎えたBRAHMANが表現されているのではないだろうか?初期作品と比べ増加した日本語詞。音楽ジャンルとしてのハード・コアから、精神性の強いストレート・エッジなハード・コアサウンドへの変貌。

 

そんな音楽性は旧作のスタイリッシュな印象からすると、なんとも泥臭く大衆受けしない作品かも知れないが、エンタメ・ロックの傾向にある現代だからこそ、泥臭くもストレートなBRAHMANのような音楽が必要である筆者は考えている。

 

穏やかさと激しさ、静寂と喧騒、衝動的な感情の爆発、そんな喜怒哀楽の起伏のすべてが人間的であり、理性的な神とはかけ離れた存在ながら、BRAHMANというバンドが神々しく見えてしまうのは、知らぬ間に自らの感情を抑制している我々よりも、余程人間らしく生きるBRAHMANの憧れを抱いているからなのかもしれない。

 

決してライブ会場で観客を足蹴にしたり、ダイバーを蹴散らす姿が人知を超えているからではないはず・・・。うん。でもやっぱり神だ。