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独身貴族「カルさん」が音楽やアーティストについて独断と偏見で書きなぐっているブログ「カルチャータイム」です。否定も肯定も全てはアーティストへの愛を根底としています。

異様に持ち上げられているKing Gnu(キングヌー)ってバンドがタピオカみたいだなと思った話

 

Sympa(通常盤)(特典なし)

 

空前のタピオカブーム到来!!なんて話を耳にして半年くらいが経過した今日このごろ。

 

最近では飲み残したタピオカ容器が路上に放棄されていることが問題視されていたり、裏社会で生きる方々のシノギに利用されていたりと、その話題性は「美味しい〜!!」「いや〜んカワイイ!!」といったスイートな部分以外にも飛び火しているようです。

 

しかしながら、なぜ人々はあのような食感重視の黒い球体に心ひかれてしまうのでしょうか。

 

単純に「美味しいから」なんて意見が1番だとは思いますが、実際のところは「みんなが話題にしているから」って人達も多いのではありませんか。

 

特に自身のヒエラルキーを常に意識しているような女性の皆さんにとっては、自らの所属する小社会での地位を守るためにも、トレンドに乗り続けることはマストであり宿命。

 

少しでも“映える”可能性があるならば借金してでもインスタにアップしろ!!リボなら毎月定額だ!!が合言葉。

 

そのため、「オシャレなあの人も飲んでいるし、周囲の人達から遅れを取らないようにチェックしておかないと・・・本当は普通に紅茶◯伝のほうが好きだけど、みんなタピオカを飲んでいるんだから、きっとハマれるはず!!だから私も好き!!あ〜んタピオカ最高〜!!」なんて具合に飛びついてしまう人も中にはいるのではないでしょうか?

 

ここまで来ると最早自己暗示というか、当人の趣向や意思など一切関係なく、ただた流行の先端を歩む人物に付いていく事だけが自らのライフワークとなってしまうのです。

 

このような事例は音楽業界でもよくある話で、実際の所よくわからないけど“なんか凄い”って雰囲気があると、人はついつい気になってしまうのです。

例えば「King Gnu」ってバンドのように。

 

目次

 とにかく認めないといけない風潮の「King Gnu」ってバンド

2019年 注目のアーティスト

 

「ブレイク寸前!?注目の新人アーティスト」なんて記事を眺めていると、必ずといって「King Gnu」というバンド名を見かけます。

 

雑誌を見てもKing Gnu。WEBニュースを見てもKing Gnu。テレビを見てもKing Gnu。知人と話してもKing Gnu。まさに現代のバンド業界は「King Gnu」一色。

 

しかしながら筆者のような捻くれた音楽リスナーからすると、少しばかり持ち上げ過ぎじゃないの?なんて気もしてしまいますし、「King Gnuってバンドが神すぎる!!」なんて記事を拝見するたび、バンド好きなら彼らの事を“認めなければいけない”ような妙な圧を感じてしまうのです。

 

それもコレもKing Gnuってバンドがカッコイイけど実際問題よくわからないって部分が影響しているのではないでしょうか。

 

「King Gnu」の楽曲って確かにカッコイイよね!!

Tokyo Rendez-Vous(特典なし)

音楽と名の付くメディアやリスナーの皆さまが総出で賛美するバンド「キングヌー」。バンド名の由来は「群れがどんどんデカくなっていく動物のヌーをイメージしている」とのこと。なんとも壮大なビジョンが込められつつも、スマートでセンスの良いネーミングであります。

 

しかし、筆者のようなヌーの最後尾に位置するリスナーには、まだまだ彼らの偉大さが理解できておりません。これだけ賛美されるということは、近年のバンドには無い、圧倒的な何かが存在しているはずなのです。

 

とある北の偉人を例にしますと「尊き存在ゆえトイレには行く必要がない」「 出生時に虹が掛かり、空には新星が現れた」「ゴルフをすれば全ホール、ホールインワン」などの、人知を超えた数々の逸話を持っておられます。それゆえ多くの人々から崇拝されているとのこと。

 

少しばかり例えが大きくなりすぎてしまいましたが、それではそんなKing gnuの作品を体験すべく、ファンの間でバンドの魅力が顕著に詰まっていると評価されている『Vinyl』を視聴してみましょう。

youtu.be

なんともピンキーでムフフ♡なシーンが満載の今曲のMV。

 

イントロのドラムのビートは怪しくも妖艶な情景を客観視するようなシンプルなモノでありますが、コミカルなギターフレーズやノリ感抜群のベースライン、所々で挿入されるサンプリングや鍵盤など、その音色の絡み合いは人間の葛藤を表現したような複雑なモノ。幾重に広がる多様な展開は、まるで映像作品を見ているような聞き応えではありませんか。

 

そして、そんなキングヌー の作品のイメージをより確固なモノにしているのが常田と井口の2人のボーカルなのではあります。

 

特にキーボードボーカルの井口は、常田から「誰からも嫌われない声」なんて評価される程の美声。

 

それでいて歌唱力も抜群に高く、今作の『Vinyl』では苦悩や衝動を見事に表現しているのだが、井口の歌声だけでは、どうしても綺麗にまとまり過ぎてしまい、少しばかり物足りない気もしてしまう。

 

そんな時こそ常田の出番である。ラーメンには胡椒。キングヌーには常田。

 

常田のやさぐれた歌いまわしは、井口と比較すると真逆のような立ち位置にあり、彼の歌声があるからこそ井口の歌声がより一層際立つのである。そしてそんな雑味がキングヌーにロック感を与えてくれているのだ。

 

それにしても聞きしに勝る溢れん才能!!自らのバックボーンにあると公言しているブラック・ミュージックを軸に置きつつも、ロックにまとめてくるあたりは、流石は噂に名高いキングヌー といった感じでございます。いやはや見事な完成度!!

 

ですが、が!が!が!が!!こうしてキングヌー の作風に対する感想を並べてみると、筆者のレビュー力が乏しいという部分もあるとは思いますが、その内容は案外普通のバンドと同じような結果。実際に曲を聴かないと違いなんてわからねーよって話です。

 

とりあえずキングヌー に対するメディアやリスナーの評価を確認してみよう。

 

「King Gnu」の全てが尊く思えてくる評価の過熱感・・・

白日

キングヌーってバンドの楽曲の良さについては、既に皆様ご存知のように素晴らしいの一言に尽きるのですが、なんか音楽リスナーの皆さまの評価を見ていると「ボーカルの2人が東京藝術大学に在籍していたんだよ」とか「常田さんはPERIMETRONというクリエィティブ集団を率いていて、キングヌーのアートワークも全て自ら手がけているんだよ」なんて感じに、バンドのサウンドとは少しばかりズレた部分までフューチャーして彼らの偉大さを称えている事が多いんです。まー履歴書的な感じでわかりやすいですけどね。

 

音楽性の特徴などについても、「ブラック・ミュージックの影響を強く受けたメンバーがロックにまとめつつもPOPに仕上げている」「邦楽とは進行が違う」などと、よく評価されていますが、ブラック・ミュージックからの影響を受けたミュージシャンなんて山程存在しているし、邦楽と進行が違うなんて事例は、現在では結構ありがちだったりします。

 

そして、彼らの才能を認める大物ミュージシャンの存在をゴリ押している方々も多いようで、米津玄師が認めた、サカナクションが認めた、なんて評価が結構な勢いでフューチャーされているのです。まるで書籍の帯の推薦文や選挙運動のようではありませんか。

 

挙句の果てには「ボーカルが2人いる」「2人の声色が全く違う」なんて、「朝になれば日が昇るんだよ」みたいな当たり前の特徴を上げる方までも。

 

ここまで来ると最早宗教。尊師の行動には何かしらの意味があるとメディアやリスナーが総出で勘ぐってしまっているような印象です。

 

そう!とにかく何でもいいからKing Gnuを評価しようぜ!!って風潮。

 

確かにバンドの存在感は日に日に大きくなっていますので、致し方ないことだとは思いますが、爆発的な流行は熱しやすく冷めやすい特徴を持っていますので、キングヌー さんも今後はタピオカ人気のようなってしまうのでは、なんて不安で筆者の頭はいっぱいです。さらに爆発的に名を広げたヒット曲もありますしね・・・。

 

もうKing Gnuといったら『白日』ってイメージが定着してますよね


King Gnu - 白日

King Gnuの名を一躍有名にした楽曲といえば、 やっぱりこの曲『白日』なのではないでしょうか。アニメタイアップ作品であった『Prayer X』の段階で十分メジャー路線で 注目を浴びてはおりましたが、King Gnuの群れを圧倒的に増やしたのはやはり今曲なのです。

 

2019年のJPOPを代表する1曲と評価しても過言ではない今曲は、過去作品と比較すると格段にキャッチーでポップ、誰しもが口ずさみたくなる美しいメロディラインとなっております。

 

しかしながらKing Gnuというバンドのイメージを一般層に定着させてしまったのも今曲なのです。

 

過去作品のような、TOKYOのアンダーグラウンドを彷彿とさせるギラついた音楽性は、インディーミュージックを好むリスナーに支持されていましたが、そういった作風は『白日』から群れに入ったリスナーの趣向とは少しばかり違うのではないでしょうか。

 

サブスクなどのランキングで常に『白日』だけが上位に残り続けている状況を眺めていると、King Gnuに今後求められる音楽性は『白日』のような爽やかで癖のない切なくも美しい楽曲ということが伝わってきます。

 

一発屋芸人がいつまでたっても流行った時のイメージから抜け出せないように、ドカンと売れた楽曲はバンドの知名度を一躍有名にするのですが、その反面、常に同じようなテイストの楽曲をリスナー求められ、当時のイメージから抜け出せなくなる呪縛囚われしますのです。

 

そういった風潮はアーティストにとって、やや不本意なイメージの定着なのかもしれません。

 

当然、今回の『白日』の爆発的ヒットにより、玄人好みのアングラバンドからJ-POP バンドとしてのイメージがKing Gnuにも定着してしまったのです。

 

そのため、今後はヒットソングに恵まれなければ一発屋などど罵られ、ライブでは『白日』の演奏は必須となるでしょう。

 

そもそも、キングヌー を絶賛している音楽メディアやリスナーって、少し前はサチモス激推ししてませんでしたか?サイケになったらサヨナラですか?今回の過熱感や評価を見ていると類似点ばかりだぞ。ホント大丈夫か?キングヌー 。もうこれらから先はタピオカと同じような評価しか待っていないぞ!!

 

なんて心配を筆者もしておりましたが、どうやら全ては彼らの狙い通りだったようです。その辺に関しては下記インタビューを見れば明らかかと思われます。

 

常田 : 単純に金を稼ぎたいということはまちがいなくあって。いまの現状として、基本的にJ-POP以外で金を稼いでいるミュージシャンがほぼいないじゃないですか。ただ、個人的にはそこを変えたいし、もっと文化的なものを発信できたらなと思っていて。それを自由にやっていくために俺らがデカくなっていく必要がある。そういう意味で、King Gnuは最重要プロジェクトですね。

引用URL https://ototoy.jp/feature/2019011601

 

なんともギラついたヴィジョンを語るインタビューでございます。

 

彼らの過去の作風やバッグボーンからすると、ついついJPOPとは程遠いい芸術家肌のミュージシャンを想像してしまうのですが、こちらのインタビューを読んでみますと、自らがJPOPの新しい成功事例になるべく、メジャーシーンに狙いを定めた活動をしていることが理解できるのです。まさに自らなったタピオカ屋。

 

なんともしたたかなバンドであります。

 

しかしながら、『白日』のヒットも彼らの話題性も「見慣れた」現在、今後求められるは継続した確かな楽曲という部分となってきます。来年も変わることなくシーンの話題をかっさらっていくのか、それとも玄人好みのアングラバンドに戻るのかは、筆者のようなリスナーには考えも及びませんが、できることならタピオカのような流行りで終わらないことを祈るばかりです。