昨今では「AIR JAM世代」って言葉すら古臭く、今を生きる現代っ子たちに言ってみようもんなら「どんな世代ですか?(笑)」なんて逆に聞き返されてしまうだろう。
そんな返答を聞くたび、自分が知らぬ間に歳を重ねていたんだなと感じてしまう。
いつからだろうか?「世代」なんて言葉で一括りにまとめられてしまったのは・・・
いつからだろうか?「体」で音楽を感じられなくなってしまったは・・・
本日は前回開催から4年ぶりとなる、パンクバンド“Hi-STANDARD”が主催するフェス「AIR JAM」の歴史について振り返らせていただこう。
当フェスはBRAHMANからONE OK ROCKまで、時代を彩るアーティストが参加する注目のフェスである。
97年に初めて開催された「AIR JAM」
1997年にお台場レインボーステージにて初開催された AIR JAM。
VANS WARPED TOURのような、ストリートカルチャーと音楽をクロスオーバーさせたイベントを日本でも開催したいと、レコード会社HOWLING BULL(ハウリング・ブル)のギース小杉氏とHi-STANDARDのメンバーが中心となり企画される。
チケットは現在では考えられないリーズナブルな価格の1980円となっており、1万人の集客があったようだ。しかし、イベントは赤字となり補填分はHi-STANDARDのライブなどの収益があてられたと難波氏はインタビューなどで答えている。
過去日本でも大型野外フェス・イベントは度々行われていたが、1980年のバブル崩壊と共にスポンサーが付かず下火となってしまっていた。そんな中、手探りで1997年に初開催されたAIR JAM。実はフジロックと同級生なのである。双方共に初の試みとなる野外フェスということで多くの問題を残すことになるが、そういった経験が現在のフェス文化の礎となっている。(フジロックは天候や交通事情などで警察や自治体からの苦情により2日目の公演を中止。AIR JAMは終了後、多くのゴミが捨てられており問題視された)
出演バンド
出演アーティストに関しては主催者であるHi-STANDARDと親交のある、TOY'S FACTORYやHOWLING BULLのレーベルに所属するバンドなどが多く参加している。
上記レコード会社とハイスタの関係は深く、横山健氏率いる「PIZZA OF DEATH RECORDS」はTOY'S FACTORYのレーベル内レーベルという形で設立され、TOY'S FACTORYとの契約終了後は、マネジメントを引き受けていたHOWLING BULL内のレーベル傘下に加わっていた時期もある。その後、完全に独立し現在の「PIZZA OF DEATH RECORDS」が誕生する。
話は少しそれてしまったが初開催時の出演者を紹介しよう。
Hi-STANDARD
COCOBAT
COKEHEAD HIPSTERS
GARLIC BOYS
GRUBBY
HUSKING BEE
ヌンチャク
SLANG
SUPER STUPID
上記を見ればわかるように、当時のメロコア・ハードコアシーンを牽引していたバンドが名を連ねている。
筆者のオススメはCOCOBAT初代ギタリストであるSUZUKI氏が脱退後に結成したGRUBBY。現在ではバンドは解散してしまっているが、SUZUKI氏はその後に結成したPULLING TEETHで現在も活躍している。GRUBBY特有のシャープなギターとスラップ・ベースの流れは今も健在である。
当時、高校生だった筆者はメロコアバンドよりもHOWLING BULL内のハードコアレーベル「Rotten Orange(ロッテオレンジ)」に所属するアーティストを好んで聞いていた。そんなRotten Orangeは現在PIZZA OF DEATH RECORDS内のレーベルとなっている。
今回参加したバンドや、当時そういったバンドを好んで聞いていた若者たちを一括りで「AIR JAM世代」と現在では呼ばれている。かれこれ20年くらい前の話であり、筆者も思春期まっさかりの十代中盤。青春の思い出だ。
インディーズバンド最盛期となる「AIR JAM 98」
翌年の98年に開催されたAIR JAMでは会場を東京ベイサイドスクエアに移し、初となる2ステージ制が導入された。
98年の開催では主催者であるHi-STANDARDのイメージした「VANS WARPED TOURみたいなイベント」がより濃く具現化されたフェスとなっている。チケット価格は前年度よりも大分値上がりした4800円となったが、3万人を集客しイベントは大成功で幕を下ろす。
アーティスト主催の手作り感あるフェスは今回も健在で、会場内や物販ブースにバンドメンバーが普通にいたりと、アーティストと観客の距離感の近さが目立った。
出演バンド
ステージが2つに増えたため、出演バンドも前年の倍となる16バンドが出演したAIR JAM98。バンド増加に伴うヴォーリューム感だけではなくその質も非常に高く、のちに「バンドブームの再来」と言われる時代を築いたバンドたちが名を連ねている。
メロコア、ハードコアに加え、絶大な人気を誇っていたスカパンクバンドが出演したのも今回からだ。
出演アーティスト
Aステージ
COCOBAT
RUDEBONES
COKEHEAD HIPSTERS
THUMB
BACK DROP BOMB
HUSKING BEE
WRENCH
SUPER STUPID
Hi-STANDARD
Bステージ
YELLOW MACHINEGUN
URBAN TERROR
ABNORMALS
GARLIC BOYS
REACH
SCAFULL KING
BRAHMAN
今回のAIR JAM98に参加したバンドの中で注目すべき存在といえば、「BRAHMAN」ではないだろうか?
民族音楽とパンク・ロックが融合した唯一無二のサウンドと「硬派」で男らしいヴォーカル・TOSHI-LOWのエモーショナルな歌声は、瞬く間にキッズ達から支持され彼らをカリスマ的な存在に位置させた。当時のシーンを語るうえで絶対に外すことのできない「最重要バンド」の1つである。
その独自の音楽性と荒々しくも神々しいライブでのパフォーマンスに、オーディエンス達はモッシュやダイブだけではなく「祈り」という新たな形で彼らに敬意を払っていた。筆者が過去にライブを見たバンドの中で、観客が拝むような形でノッていたのは彼らとCOOK ROACHくらいだ。
時代の節目となった「AIR JAM 2000」
1999年はPIZZA OF DEATH RECORDSの独立や、極小のプロモーションにも関わらずスマッシュ・ヒットとなったアルバム「MAKING THE ROAD」の発売、「FUJI ROCK FESTIVAL1999」とバタバタしていたからか「AIR JAM99」の開催は残念ながらされなかったが、翌2000年に千葉ロッテスタジアムに会場を移し「AIR JAM2000」の開催が決定したと告知されたのだ。
前年にリーリースし大ヒットした「MAKING THE ROAD」の影響もあり、3万枚のチケットは瞬く間にSOLD OUTとなった。応募総数は20万件以上と、アーティスト主催のフェスでは異例の状況だったため、今なお伝説とされている。
そんな絶頂期を迎えていたHi-STANDARDだが、今回のAIR JAMを最後に活動を休止してしまう。そして絶対的なカリスマを失ったシーンは下火となり、1つの時代が終わりを迎えたのだ。
筆者的にはここら辺くらいまでのAIR JAM出演バンドや、そんなバンドたちを好んで聞いていたキッズたちを「AIR JAM世代」と言うのではないかと思う。(AIR JAM2000では出演バンドが以前より多様化しているため、一概にAIR JAM世代とは言えないバンドも多い)
出演バンド
今回も2ステージ制が導入されており、出演アーティスト数は前年を超える18組となっている。
アーティストのラインナップに関しては、前回開催時よりも更に広いジャンルで選出されており、鉄アレイや原オナのようなジャパニーズ・パンク/ハードコアのパイオニア的な存在から、HIPHOPユニットSHAKKAZOMBIEなど、個性豊かな面々がステージを盛り上げた。
AIR STAGE
BACK DROP BOMB
The SKA-FLAMES
MASTER LOW 01
SHAKKAZOMBIE
MAD3
MOGA THE
BRAHMAN
WRENCH
Hi-STANDARD
JAM STAGE
ABNORMALS
THE MAD CAPSULE MARKETS
bloodthirsty butchers
喜納昌吉&チャンプルーズ
SCAFULL KING
鉄アレイ
COCOBAT
the 原爆オナニーズ
HUSKING BEE
注目すべきバンドは前年に 「MAKING THE ROAD」をリリースし「FUJI ROCK FESTIVAL1999」にも出演したオオトリのHi-STANDARDで間違いないだろう。
思想なき商業パンクと否定されることも多々あったハイスタだが、シーンをここまで盛り上げ、みんなで歌って踊れるメロディックなパンク・ロックを一般層にまで浸透させたのは彼らの実績である。
書こうと思っていたことは多々あったのだが、非常に時間がかかりそうなので今回はこれくらいで。2011年の活動再開からはまた後日。