culture time

独身貴族「カルさん」が音楽やアーティストについて独断と偏見で書きなぐっているブログ「カルチャータイム」です。否定も肯定も全てはアーティストへの愛を根底としています。

THE BACK HORNのアルバム「イキルサイノウ」で痛感した歌詞の重要性

遅いペースながら、今回で50記事目となった当ブログ。開設から約5ヶ月も経つはずなのに、まだ50記事・・・?と自ら突っ込みを入れたくなる状況ではあるが、今後も現在のスローペースを維持しつつブログの更新を継続していこうと思っている。

 

本日は「私の音楽遍歴シリーズ第2弾」と題し、筆者の音楽人生の中で1番の視聴時間を誇るバンド「THE BACK HORN」のアルバム「イキルサイノウ」と筆者について記事を書かせてもらおう。

 

バンド結成とメンバーについて

 THE BACK HORN

1998年にロック・バンド「THE BACK HORN」は」結成された。メンバーは下記通り。 

 

 THE BACK HORN(ザ・バックホーン)

山田将司 (ボーカル)  

菅波栄純 (ギター)   

松田晋二 (ドラムス) 

岡峰光舟 (ベース)   

 

平林直己 (ベース) 旧メンバー

 

結成当初はメンバー全員が同じ音楽専門学校出身だったが、平林が2001年に脱退。

その後はサポート・メンバーの岡峰を迎え活動を継続し、2002年に岡峰が正式に THE BACK HORNに加入し現体制となる。

 

バンドの結成は東京だが、メンバー全員が地方出身である。そのため言葉の訛りが強くライブMCはキメきれない印象を受けるが、暖かみのある口調のMCのはファンの間で好評だ。※MC(ライブの演奏と演奏の間に行われるトーク)

2001年、インディーズからメジャーに活動の場を移す

甦る陽【NEW MIX】

 

約三年間のインディーズ活動で、1枚のシングルと2枚のアルバムを発表する。

そして、2001年にシングル「サニー」でメジャーデビューを果たす。

 

1stアルバム『何処へ行く』に収録されている「冬のミルク」や「何処へ行く」は、2006年に行われた路上でのフリーライブ「弾き叫び」でも演奏された名曲だ。

 

2ndアルバム「甦る陽」は初期からのファンの間では「名盤」という評価が多く、メジャーデビュー後に再録版がリリースされている。 同タイトルに収録された「無限の荒野」はライブでのアンコール定番曲となっている。

 

洋楽ユーザーだった私を夢中にしたTHE BACK HORNの「歌詞」の重み

イキルサイノウ

歌は音。歌詞の意味は不要の洋楽生活。

 筆者の洋楽デビューは高校1年生の後半くらいだったと思う。過去記事にも書いたように、当時の筆者は高校軽音部関係のヒエラルキーに人一倍こだわりを持って生きていた。そのため「洋楽」というジャンルに少しでも早くたどり着かなければいけなかったのだ。

 

「洋楽にも詳しいんだね筆者君は」そんな尊敬の言葉に憧れて手を出した洋楽。しかし、洋楽というジャンルは、掘れども掘れどもバンドが湧いて出てくる音楽界の魔窟。当時の国内バンドにやや飽き気味だった筆者は、洋楽という深い森に完全に迷い込んでしまったのだ。

 

しかし、筆者は英語が苦手だ。学生時代の全科目中で、常に英語が最低の成績をキープし続けているにも関わらず洋楽にハマってしまった。「英語がわからないと歌詞の意味がわからないでしょ?」なんて野暮な質問をしてくる友人もいたが、総合的な「音」としての格好良さを重視して聴けば「英語歌詞」など全く問題ないと偉そうに答えていた。

 

そういった重要な部分を押さえずに物事を楽しんでしまう考え方は、今に始まったことではない。過去に名作と言われるRPGゲームを散々やってきたが、子供だったためストーリーは全く理解せず、「モンスターが仲間になる」「スキルを自由に選べる」などの「システム」ばかりに注目していた。そのような、偏った価値観を持ったまま音楽にのめり込んでいったため、「歌詞」に対して重要性を感じていなかったのだ。

 

 とは言え、同じような考えの方々もやっぱり多いと思う。「歌詞」には特別意味を持たせず、「ノリ感」を強めた音の一部として認識する感じ。当時、流行ったバンド「B-DASH」(現在は活動再開しているよう)もそうだし「マキシマムザホルモン」なんかも同じかなと思う。

 

「イキルサイノウツアー」でTHE BACK HORNに出会う

www.youtube.com

簡単に説明しておくと「イキルサイノウツアー」とは、バックホーンのアルバム「イキルサイノウ」のレコ発記念のツアーである。※レコ発とはレコード発売

同タイトルは、バックホーンファンが選ぶ「再び公演を行なって欲しいアルバム」のアンケートで、堂々の一位を獲得した名盤だ。2015年に発売されたシングル「悪人/その先へ」の初回限定特典のDVDには、アルバム「イキルサイノウ」の再現ライブが収録されておりプレミア化している。

 

当時、洋楽ばかり聴いていた筆者は、当然バックホーンの存在を知らなかった。彼らとの出会いはCDなどの音源ではなく、偶然、友人に連れられ観に行ったライブが「イキルサイノツアー」中のバックホーンだったのだ。今思えば贅沢な話である。

 

邦楽バンドに対して、やや斜に構えていた筆者だったが、彼らの鬼気迫るライブに度肝を抜かされた。同アルバム収録されている「惑星メランコリー」では退廃的で文学性の高い歌詞と圧倒的な世界観にヤラれ。やり場のないフラストレーションを吐き捨てるように歌い上げる「孤独な戦場」。「死」という重いテーマを穏やかに表現した「幸福な亡骸」。そして最後を締めくくる「未来」。

 

過去、歌詞を重要視してこなかった筆者にとっては、彼らの存在はあまりにセンセーショナルであり、今までの「いい歌詞を唄おうとする」アーティストたちとは違う、歌詞に対する「確かな説得力」が感じられた。それはヴォーカルである山田の表現力なのか?バックホーンとしての総合的なサウンドなのかはわからないが、筆者に歌詞の重みを教えてくれたのは間違いなく「THE BACK HORN」だったのだ。 

 

悪人/その先へ【初回限定盤】(CD+DVD)

悪人/その先へ【初回限定盤】(CD+DVD)

 

 

変わり続けるTHE BACK HORNの「音楽性」

何処へ行く

初期作品の特徴である退廃的な世界観」

 初期のバックホーンでは「退廃的な世界観」を吐き捨てるように表現したグランジ風味のテイストが主だって見えた。バブルが崩壊から不況が続いた90年台。そんな荒んだ世の中の人々の心を癒やすべく流行したのが「ポジティブソング」である。しかし、どれだけ歌で元気づけようと、現実を見れば未来へのネガティブなイメージがよぎってしまう。

 

当時の作詞を担当していた菅波栄純は、とても繊細な心の持ち主だ。そのため、直面する現実に対する不安や怒りも人一倍強かっただろう。躁うつとも言われていた状態が当時の作品からも多々感じられる。

 

筆者がイメージする当時のバックホーンのカラーは「黒」「灰」「赤」と、決して明るい印象はなかった。だが、それが最高に格好良かったのだ。

 

菅波:そうですね。THE BACK HORNはそのときの精神状態やバイオリズムがアルバムにもろに入るバンドなので、すごくディープな、あるいはネガティブなことを書いてるアルバムも結構あったんです。  

引用URLhttp://www.cinra.net/interview/201404-thebackhorn

楽曲面での成長が感じられた「ヘッドフォンチルドレン」

ヘッドフォンチルドレン

 

個人的にバックホーンとしての「方向性」と「音」が変わった印象の強い4tnアルバム「ヘッドフォンチルドレン」。同タイトルに収録されている「コバルトブルー」は、バックホーンの代表曲である。スピード感のあるエモーショナルな楽曲は、多くのキッズ達に支持され全国の軽音部でこぞってコピーされた。しかし、大半はイントロギターでトチってしまう・・・。

 

「歌詞」に関しては過去作品で見られた「退廃的」な内容は少なくなっているが、より深みを増した文学的な歌詞と疾走感のある楽曲が目立つようになった。作品には精神状態が大きく影響していると語られることを加味すると、それだけ前向きな環境で音楽に向き合える彼らの成長があったということではないだろうか?

 

活動期間、約20年の間に彼らがリリースしたオリジナル・アルバムは13枚。最近の作品では初期作品のネガティブな印象は消え、ポジティブな歌詞が多く見られるようになった。そういった変化に否定的なファンが多いのも事実ではある。

 

しかし、彼らの作品は今ある自身の姿を表現しているため、変化し続けるのは当然だ。常に人生を叫び続けるバンドがバックホーンなのだ。

 

 私とTHE BACK HORN

アサイラム(初回限定盤)

 

苦楽を共にしたバックホーン

 

 筆者には4年間ほどバックホーンばかり聴いていた時期がある。別に病んでいた訳ではない。理由は転職だ。新しい環境で働くには、とにかくエネルギーが必要だ。その結果、新しいバンドを模索する気力を失い、最新の音楽がバックホーンで止まってしまったのだ。

 

事務所に残ることの多かった筆者。音楽は自由に流してよい環境だったため、永遠とバックホーンを流し続けた。1日約10時間、永遠と聴き続けた。事務所に誰も居ないことをいいことに、「青空」だけを1日かけ続けた日もあった。「扉」を歌いながらパソコンを打ち続けた日もあった。仕事が終わらず朝方まで「赤眼の路上」を聴き続け、おかしなテンションになった日もあった・・・。筆者の人生で1番辛い時期を共に過ごしたのがバックホーンだったのだ。