こんな音楽は子供騙しだ。絶対に流行らない。存在自体がメジャーには不向き。気持ちが悪い。理解ができない。そんな言葉をあざ笑うように、多くの支持を集め、瞬く間にシーンに浸透していった「SEKAI NO OWARI」。
当然ながら、筆者も彼らを嘲笑していた人間の一人なのであるが、なぜ当時、彼らに対してそういった評価をしてしまっていたのだろうか?改めて思い返してみると、筆者は彼らの存在を認めてしまうことが「怖かった」のかもしれない。本日はその辺について筆者の完全主観的な記事を書いてみようと思う。
目次
バンド「世界の終わり」について
コチラで紹介する楽曲は、彼らのインディーズデビュー作となる『幻の命』。限定生産というかたちでリリースされ、まだバンド名が「世界の終わり」だった頃である。
そして、次に紹介する楽曲『天使と悪魔/ファンタージー』は、インディーズ時代の2作品目となるシングルだ。動画は『天使と悪魔』。
それでは簡単に「世界の終わり」について説明しよう。
まず、彼らのバンド形態はドラムやベースを担当するメンバーが存在せず、4人構成の変則的なモノとなっている。「メンバーが見つからなかった」など様々な理由があるとは思うが、深瀬の性格を考えると「必要なかった」なんて可能性もある。メンバーの詳細については過去記事を参照してほしい。
実際のところ、プレイヤーとして存在しないだけで、リズム面に関してはサンプラーによる打ち込み音を利用しおり、音源でのマイナスは特に感じられない。さらに、打ち込み音も一般的なドラムサウンドのため、違和感や妙なデジタル感もなく非常にさっぱりしたもののとなっている。
その辺に関しては、レコーディング作業でもリズムパートは切り貼りして使用していることが多く、無理に人間を用意する必要はないのかな?なんてことも考えてしまうが、機械的なビートは、ライブ感を演出するにはちょっとばかり不向きな印象もある。
しかし、その分メロディラインを構成する楽器が豊富なため、物足りなさは感じられない。深瀬の繊細な歌いまわしを活かすのには、それらは丁度良い塩梅だと思う。
楽曲に関しては、サッパリとしたPOPなロックな感じであるが、その歌詞は自らの価値観を主張するものが多い印象を受ける。
新たなロックの象徴?「世界の終わり」
筆者のように偏ったロックファンって結構多いと思う。あれはロックじゃない、これはロックだなんて色々と決めつける人たちね。
そういった人達が決まって苦手イメージを持つのが「世界の終わり」なのではないだろうか?まず、バンド名が受けつけない。「世界の終わり」なんて、退廃的かつ終末的なネーミングの割に、曲調は結構POP。歌詞は重めの内容だったりするが、主観的な理想主義な部分もあり、突っ込みどころが多い。そして、極めつけは「ピエロ」の被り物である。
何だ!このバンドは!我は高等なる洋楽民。お前らの演ずる、お遊びロックなど興味はない!などと当時の筆者は、彼らの存在すら否定してしまったのだが、そういった評価にしてしまった原因は、自らが掲げているロックという概念を、壊してしまう可能性のある存在が「世界の終わり」だったからではないかと考えている。
人によって「ロック」に求めるものは様々だが、筆者が求めているのは「強さ」だった。腕っ節の強さなどではなく、象徴としての強さである。なんとも説明し難い部分なのではあるが、ロックスターの持つ牽引力的な強さである。
ここ最近の国内バンドで言えば「ONE OK ROCK」がそれに該当する。
多くの若者達から支持されている彼らのスタイルは超正統派だ。「俺達がお前らの希望になってやる!!しっかり付いて来い!」的なマッスルスタイルは、希望に満ち溢れた若者達を牽引するに相応しいカリスマ感であり、それらは、筆者の求めるロックスタイルの理想形でもある。
そして、そんなワンオクと人気を二分するバンドが「世界の終わり」である。
ワンオク同様、前を見据えたポジティブな存在ではあるが、カリスマとしての姿はワンオクと比べ力強いものではなく、「色々あったけどさ、前向きに行こうよ!僕達が一緒に歩くよ」的な、共に寄り添い励ます感じである。そういった存在を必要とするのもまた、時代の変化の1つなのだろう。
しかし、ロックとして認識されている彼らの存在は、固定観念で描かれた筆者のロック像とは乖離してしまっているため、彼らの存在が支持されればされる程、筆者の思い描くロックは衰退していってしまうのだ。
だからこそ、「世界の終わり」のような、筆者のロック像を脅かす存在には「恐怖心」を抱いてしまう。そして、その反動が彼らに対する否定的な意見を述べてしまう原因なのだろう。ただ、人によってロックに描くイメージは違うのでなんとも言えないが・・・。
DJ・LOVEという恐怖の存在
それにしても、DJ・LOVEの存在が相変わらず怖い。もう視覚的にも精神的にも怖い。なんでだろうか?ピエロって子供の頃は、そんなに怖くなかったのだけど、大人になって改めて見ると異様に怖いよ。表情もいつでも笑顔だし。
「世界の終わり」の頃は異質な存在だったDJ・LOVEも、バンド名が「SEKAI NO OWARI」に変わる頃には、バンドのコンセプトもファンタジー寄りになり、PVに写っていても違和感を感じなくなってしまった。
セカオワにピエロがいるなんて、今さら騒ぎ立てる人を見たことないでしょ?その、当たり前感が怖いんだよ。彼の世界観を許容してしまう世の中が・・・。
みんな、ピエロの恐ろしさを忘れてしまっている。みんな、今一度思い出すべきだ。DJ・LOVEだって何時、暴れだすかわからないぞ。
PVが怖い
楽曲うんぬんよりPVの怖さが際立つ「スノーマジックファンタジー」。
まず、開始早々に登場するフクロウが恐ろしい。メルヘンティックな展開ながら、ややサイコ風味を感じてしまうのは、筆者だけだろうか?
マジックなんて言葉で簡単には片付けられないミステリー感満載のPVは後半になればなるほど、不気味なメルヘンワールドが展開される。深瀬の生首が鳥カゴに入っているシーンなんて、子供が見たらトラウマになるでしょ。最後のサオリなんてホラーでしかない。
彼らの存在を一躍有名にした「ドラゲナイ」なんて、アパレル業界に戦慄を走らせた曰くつきの曲である。
コチラも楽曲うんぬんよりも、彼らが着用している「モッズコート」に問題ある。
1999年にGLAYの発表した『Winter,again』。そのPV撮影の際にメンバーが「モッズコート」を着用していたため、それらを着ようもんなら「GLAYみたいじゃん」なんてことを言われる事も多かった。そんな、風評もすっかり消え去った2015年。再び悪夢が訪れる。そう、大人気バンド「SEKAI NO OWARI」がPVで「モッズコート」を着用したのだ。
その結果、モッズコートを着用しているだけで、カラオケに行けば「ドラゲナイ」を歌ってよなどと言われるのだ。リリースから約2年たった現在でも、そういったイメージが強く、モッズコートはクローゼットの奥に仕舞っているなんて人も多いのではないだろうか?
何だかんだ、その才能が怖い
映画「進撃の巨人」に起用された『ANTI-HERO』。どうしても、アニメ版の「紅蓮の弓矢」の熱苦しいイメージが先行してしまい、ミスマッチなんて印象も強い楽曲ではあるが、内容は最近のJPOPにはない独自性の高いものとなっている。シンプルなトラックのビートに、鍵盤楽器が乗っかる感じはJAZZYなHIPHOP風。初期楽曲と比較しても、考えられない変化である。
コチラも映画「進撃の巨人」で使用された楽曲『SOS』。先ほど紹介した
『ANTI-HERO』で感じたダーティな印象は一切なく、果てしなく透明感の高い賛美歌の様な楽曲だ。PVに登場しているモンターについては、調べていないので「謎」であるが、今さら彼らの世界観に色々言うのも疲れたでしょ。
本日最後に紹介する『Death Disco』では、トランシーなEDMサウンドまで聴かせてくれるのだ。時代を彩るジャンルを節操無くこなしている印象も強いが、一つひとつの作品がしっかりとセカオワ感が残されている辺はセンスの高さが伺える。
「ドラゲナイ」なんて感じで馬鹿にしがちな「SEKAI NO OWARI」だが、音楽好きにこそ一度は聴いてほしいバンドである。