culture time

独身貴族「カルさん」が音楽やアーティストについて独断と偏見で書きなぐっているブログ「カルチャータイム」です。否定も肯定も全てはアーティストへの愛を根底としています。

ずっと真夜中でいいのに。ってバンドについて考えていたらイタコになった話

『沈香学』通常盤

連休って、一番自由なはずなのに、一番孤独を感じる気がする。

 

とりあえず昼にランチだけ予定入れて、「社交的な私」という幻想をSNSに投下。その後は部屋着のまま、布団と合体してポテチとサブスクの深海に沈む。

 

実家?無理。あそこはもう、30代未婚者にとっての戦場。

 

母からの小言は空爆レベル。「あんた、もう30なんだから」の一撃から始まり、「このままだと本当にひとりだよ?」でとどめを刺しにくる。

 

父は、かつては貴重な友軍だった。「本人のペースがあるんだから」とかばってくれていたのに…今はもう完全に沈黙。母の威圧砲撃をくらって、静かに撃沈した沈黙の艦隊。目が合っても、無言で「健闘を祈る」とだけ言ってくるあの感じ。つらい。

 

一方こっちは、洗濯は放置、冷蔵庫には水とドレッシングと孤独だけ。

でも、夜だけはちょっと無敵になれる。

 

誰にも見られてない気がして、爆音の音楽でテンションだけぶち上げて、無意味に泣きそうになったり笑ったり。

 

不安も焦りも全部ふわっと宙に浮いて、なんなら「このままでもよくない?」くらいの気持ちになってくる。

 

ほんとにさ、もうずっと真夜中でいいのに!!

 

【1. 顔出しNGって色々メリットあるよね】


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顔を出さないって、正直ちょっとズルい。

 

こっちは寝起きの顔すら見せられないのに、彼女は見せないままで、ちゃんと届いてくる。

 

「ミステリアスなボーカル」って、今どきありがちすぎて逆に冷めることもあるけど、
ずっと真夜中でいいのに。のACAねさんは、そういう“戦略”だけじゃ片付けられない何かがある。

 

顔が見えないからこそ、余計に感情移入しちゃうんだと思う。

 

この声が、怒ってるのか泣いてるのか笑ってるのか。


そこに“私”が勝手に意味をつけて、自分のストーリーにしちゃってる。

 

気づけば私は、彼女の曲の中で主人公ぶって、傷ついたり立ち直ったりしてる。
ほんとはコンビニ行くのすら面倒な日だってあるくせにね。

 

SNSではたまにゆるっと発信してくれる。
でも近すぎない。ちょうどいい。

 

わたしが親に「そろそろ結婚しなさい」と言われて沈んでるときに、
ACAねさんは「自由であること」「自分らしくいること」を、顔を見せずに教えてくれる。

 

たぶん彼女も、いろんな圧とか視線とか、浴びてるんだろうな。
それでもなお、あの声で、誰かの夜を肯定してる。

 

私には何もないけど、少なくとも今日だけは彼女の曲を聴いて、
「まだいける、たぶん」って、ちょっとだけ思えてる。

 

…とはいえ、YouTubeでパフォーマンス映像を見てみると、服のクセがまあまあ強くて「あ、自己投影の余地そんなにないかも」って笑ってしまった。


でもそれも含めて、なんか、好き。

 

 

【私だけじゃなかった!!ずとまよ。のマジ共感できる楽曲】

ずっと真夜中でいいのに。 | 『沈香学』初回限定LIVE DVD盤 (2DVD付)

たまにあるじゃないですか、「わたし、こんな性格で生きづらいな」って全部自分のせいにしちゃう夜。

そういうときに限って、ずとまよの曲に限界メンタルが全肯定されて、「え、これ他にも感じてた人いたんだ…?」って謎に救われるんですけど。

 

行かないことが事が最後の砦「あいつら全員同窓会」


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「あいつら全員同窓会」ってタイトルだけで、正直ちょっと笑っちゃった。
その手があったか、って感じ。


わたしも「あいつら」って呼びたい人、数人いる。フルネームで。

 

同窓会って、なんかもう勝ち組たちの現地報告会って感じしない?

SNSの延長戦というか、「最近どうしてる?」って聞かれても、
こっちは“生きてる”以外の情報ないし。

 

でもこの曲、ただの拗らせや当てつけじゃなくて、ちゃんと“自分はどうしたいか”って視点があって、そこがちょっと悔しい。

 

「どうでもいいから置いてった あいつら全員同窓会」って歌ってるくせに、そこに少し未練とか、照れとか、あるの分かっちゃう。
私と同じだ。


「別に参加したくないし」って言っておいて、本当は呼ばれなかったこと、地味に刺さってんのよ。

通知ゼロのLINEを3秒ごとに見てる人間が、それ言う?

 

そして「ステンバイミー 自然体に シャイな空騒ぎ」なんて歌詞、
今の自分に刺さるなんてもんじゃない。

自然体どころか、最近“シャイな空騒ぎ”しかしてない。
夜中にひとりで踊ったり、ポエム書いては下書き保存して、翌朝読んで絶望したり。
それがわたしの、自然体。

 

ああもう、まただ。

 

斜に構えて「共感とか寒くね?」とか思ってたくせに、
がっつり曲の中に自分の影を探してる。

ほんとめんどくさいな、自分。

 

でも、こんな自分にも「いていいよ」って言ってくれるような気がして、やっぱりまたこの曲、リピートしてる。

 

 

積もる埃は今の私!?『


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部屋が散らかってる日は、だいたい頭の中も混沌としてる。
「とりあえず片付けよう」って立ち上がって、3分後には座ってる。


BGMに「シェードの埃は延長」を流したら、曲まで落ち着きがなくて笑った。
私の脳内が音楽になったら、たぶんこれ。

 

あっちいったりこっちいったりするメロディに、
「情緒ってこんな感じだよね…」って妙に安心する。


部屋も恋も仕事も、きれいに整ったことなんて最近ないし。
まあ、散らかったままでも、曲が終わるように人生も回るでしょ、きっと。

 

おっさんでも理解できた『ずっと真夜中でいいのに。』の魅力

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ずっと真夜中でいいのに。通称“ずとまよ”。

やたら再生数は多いし、若い子たちが「わかる〜」「尊い〜」とか言ってるし、気づけば紅白にも出ている。

だがしかし。

40代・独身・予定のないゴールデンウィークを迎えた筆者は思った。

 

「この人気の秘密って、結局なんなんだろう?」

 

顔を出さないボーカル。読み解きがいのある歌詞。MVはたぶん意味深⋯

 

本当にそれだけで、ここまで人を惹きつけられるのか?

 

共感? 浄化? エモ?

 

そんな都合のいい言葉に騙されてないか?

 

というわけで、筆者はついに決断した。

 

アラサー女性になりきって、“ずとまよを感じている側”の立場から書いてみることを。

 

つまりこれは、ゴールデンウィークの暇に耐えかねた40代のおっさんが、アラサー女性の魂をイタコ的に憑依して書いた疑似・共感エッセイである。

 

すなわち筆者、華のGWにも関わらず“今も常にずっと真夜中”にいるのだ。