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独身貴族「カルさん」が音楽やアーティストについて独断と偏見で書きなぐっているブログ「カルチャータイム」です。否定も肯定も全てはアーティストへの愛を根底としています。

緑黄色社会ってバンドは優等生過ぎてズルいと思った話

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「一段落」って“ひとだんらく”でしょ?って言い張ってたら、同僚に「あ、あなたもですか…」ってそっと肩を叩かれて、気まずい共犯者みたいになった。

 


「代替」は“だいがえ”。100%“だいがえ”。“だいたい”って読むって聞いたときは、「それ代替案じゃなくて、ただの雑な案じゃん⋯」とか言いそうになったけど、傷口を広げそうだからギリで止めた。セーフ。セーフ。

 


「貼付」もクセモノだ。メールだと“てんぷ”、書類だと“ちょうふ”、もうどっちでもよくない?ファイルがそこにあれば、それで充分だと思っている。

 


で、「緑黄色野菜」。これも地味に読みづらい。たぶん9割くらいの人が、最初“りょこうしょくやさい”って読んでる。毎回“緑黄”で「あれ?『りょくき…?』『りょっこう…?』」って止まるし、スマホで打っても変換されない。緑→黄色→野菜って、三段階で変換してる時点で負けた気がする。

 


読めないし、変換できない。でも意味はわかる。身体に良いやつ。学校の給食に出てた。栄養価は高いけど、ちょっとクセがあるやつ。そもそも筆者、野菜とか嫌いだったし。漢字なんてニュアンスで伝わればいいじゃん。

 


でね。こういう話をすると、「いや、ちゃんと勉強してれば読めるじゃん」とか言う人が現れるんですよ。いるの。絶対いるの。「常用漢字だよ?」「中学で習うよ?」みたいな顔するやつ。


そういう人って、だいたい漢字の書き順まで覚えてるし、忘れ物しないし、野菜もしっかり食べる。

 

社会の授業で「現代の社会問題について意見を述べよう」って言われても、スラスラ原稿用紙埋めるタイプ。相手悪気ないけど、こっちは嫌いだよ。お前のこと。

 


で、そういう“ちゃんとしてる人たち”が組んだロックバンドがあるんですよ。10代でバンドコンテスト準グランプリ取って、演奏も歌も崩れなくて、歌詞はまっすぐで、でもちゃんとひねりもあって。

 


あなたたちも、筆者のこと見てるんでしょ?「りょっこうしょくやさいって…プッ」って、メンバー全員で目線交わして笑ってるんでしょ?

 


と、いった流れで本日は優等生感満載な『緑黄色社会』について書かせていただこうと思う。

 

そもそもインディーズ時代から優等生そうなバンドイメージだった緑黄色社会

緑黄色社会といえば、過去にエリートバンドの登竜門「閃光ライオット」にて準グランプリを獲得した輝かしい実績を持ったバンドである。

 

「準グランプリかい!!」という評価もありますが、M-1グランプリに代表されるように、賞レースで必ずしも大賞を取った人がその後成功するわけではありません。実際、準グランプリやその次の順位の方が、後々成功するパターンも多いですよね。

緑黄色社会

まずCDのジャケットを見てほしい。雪。木。寒色の空気感。まるで野菜が一番育たなさそうな土地。なんで“緑黄色社会”って名乗っておいて、色がなさすぎるんだ。光合成に期待できる要素、ゼロ。

 

インディーズバンドってもっとこう、土っぽくて、手作り感あって、パッケージにロゴのステッカー手貼りしてそうなイメージだったのに。これはもう、育て方を間違えたほうれん草じゃない。最初から完成されてたほうれん草である。

 

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一曲目『Re』。イントロからもう壮大。なんかドラマのクライマックスか、NHKの特番に使われてそうな広がり方してる。「インディーズらしさ」って、どこ?スタジオのエアコンの音とか、メンバーの咳払いとか入ってないの?

 

筆者の中で「インディーズ」といえば、ロゴの綴りが間違ってるとか、歌詞カードに誤植あったりとか、ところどこに挿入されてる写真とかもツアー中の打ち上げで撮影した“ゲ◯吐いてる”ようなのばっかでしょ。そういう“雑”が含まれてる前提。

 

でも、このバンドは違った。インディーズなのに、誤読も誤植もない。きっとジャケ写のロケハンも綿密に行ってるし、曲順やリスニング導線もちゃんと設計されてる。さらに、女性陣のヴィジュアルはもちろん、CD裏のバーコードの位置ですら美しい。

 

発売日は3月14日ってのも、腐ったバンドマンだったらしなそうな素直な雰囲気。そして最後のインディーズ作として世に出したのが、この『緑黄色社会』。重要な場面に“セルフタイトル作品”を出してくるところも勝負どころを理解してそう。なんて褒め殺し。

 

緑黄社会の模範的なバンド像に嫉妬

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緑黄色社会の音楽は、ちゃんとしてる。声も演奏も歌詞も、服装までもが「どこに出しても恥ずかしくない」。NHKがブッキングしてくるのも納得。教育的配慮を感じる。そんな模範的なロックの道を緑黄社会の皆さんは若かりし頃から歩んでらっしゃいます。

 


もうこれ、無添加無農薬ロックである。化学調味料ゼロ。心に優しい。育ちのいい音。
子どもに聴かせたい。親も安心。下北沢も必要ない。クリープハイプなんて散々ポストハーベストして、やっと「みんなの歌」ですよ。

 


でもちょっと待ってほしい。ロックって、もう少し荒れててもよくない?声が割れてたり、音がズレてたり、歌詞が間違ってたり、そういう不良品みたいな部分にこそ、自分は居場所を見出してきた。ロックってのは、“ちゃんとしてない人間”の逃げ場だった。学校で浮いてても、バイトすぐ辞めても、ギターが鳴ってれば、どこかで肯定されて、仲間あつめてバンド組むみたいな。

 


それが今や、こんなに整っている。ロックがここまで優等生になってしまったら、
筆者のような“勉強も部活も恋愛もダメだったやつ”は、いよいよどこに行けばいいんだ?

 


いや、わかってる。緑黄色社会は、なんの罪もない。むしろ彼らの音楽は、ちゃんと優しいし、ちゃんと寄り添ってくる。だけど、こっちが勝手にビビってるのだ。「こんなにちゃんとした音楽、聴いてていいんだろうか?」って。自分みたいな劣等生がうっかり感動したら、なんかこう、泥のついたスニーカーで高級レストラン入っちゃったみたいな気分になる。眩しすぎる。

 

 

『花になっては』、優等生のくせにグレてくるからずるい

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今曲「花になって」は、アニメの主題歌としても起用され、その世界観を色濃く反映させた思惑が絡み合う展開となっている。


楽曲自体には、少し悪そうな雰囲気も漂っていて、そのイメージを引き立てるために、MVでは黒を基調にした皮コーデという、いかにも悪そうなコテコテのスタイル。まるで、バンドの中の一人が「俺、今日はこれで行くからな!」と決めて、全員を巻き込んだかのような演出。本当に真面目そう。

 

さて、もしこれが、捻くれたバンドマンならどうなるだろうか?きっと「てめえ、お遊戯会じゃねーんだぞ!!」なんて言いながら、待機所の椅子を思い切り蹴飛ばして、ギターケースをぶん投げてるはず。


でも、緑黄色社会は違った。そんな悪ぶった“反骨”じゃなくて、素直にその世界観を受け入れ、小芝居あふれるアクションシーンにも挑戦している。まるで「ロックも音楽なんだから遊び心も大事だよね」と言わんばかりに、笑顔でその役割を楽しんでそう。

 

ロックを意識しすぎたバンドマンって、逆にロックに縛られて、本来の“自由さ”を失っちゃってるよね。本当は“自由であるべき”ロックが、どこか不自由になってる。

 

優等生のが柔軟じゃんなんて事を思いつつも、筆者は沈むゆくロックの定義と生きていくのでしょうか?

 

 

なんだかんだ女性陣のヴィジュアルも強すぎてズルいバンド『緑黄色社会』

 

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緑黄色社会のメンバーで、特に目を引くのが長屋晴子とpeppeである。二人の美しさは、今に始まったことではない。まるで学生時代からすでにヴィジュアルが完成されていたかのような、その自然な美しさ。

 

彼女たち、特に晴子さんは、ただの「きれいなだけ」じゃない。どこか、計算された美しさとでも言おうか。学生時代から、あの清楚でありながら少し色っぽいルックスは、まるでずっとそうだったかのような完成度。

 

そして、peppe。彼女の名前、peppeって、どこから来たの?「ぺっぺ」ってどう発音するの?正直、最初はその名前に驚き、“peppe”が何か意味があるのかと考えてしまった。本名があって、後から付けた名前だろうけど、普通の名前の中に突然現れる“横文字感”が何とも不思議だ。

 

その名前、一体どう読むの?漢字も横文字も読めないじゃないか。メンバーみんな普通の名前なのに、peppeという名前だけでちょっとした謎。

 

この二人が音楽の才能も持ち合わせているところが、いっそうズルい。ただでさえ優等生的な美しさを持ち、ヴィジュアルで圧倒するのに、歌も演奏も超絶上手い。ギターも手抜きが一切ない。“不平等社会”の始まりである。