ある休日の昼下がり。
夫婦はリビングのソファに並んで座り、各々が好きなことをしていた。
妻は雑誌を開き、ページをめくる音が小さく部屋に響く。
筆者はその静けさに甘えて、イヤホンではなくスピーカーを選んだ。
せっかくの休みだ、久しぶりに音で部屋を満たしたかった。
叫ぶような歌声が流れた瞬間、妻が雑誌から目を離さずに言った。
「これ、怒ってるの?」
筆者は少し考えてから答えた。
「怒ってるけど、怒ってない」
「どっちなの?」
「生きてるんだよ」
この回答には自信が少しあった⋯。
妻はページをめくる手を止め、こちらをちらりと見た。
「生きてる?」
「そう。魂が」
「へぇ」
それだけ。そのまま雑誌に視線を戻した。
それで会話は終わりだと思っていたが、ページをめくる音のあと、妻がぽつりとつぶやいた。
「叫ばないと、生きてるって言えないの?」
筆者は返せなかった。どう説明しても野暮になる気がした。この沈黙の方が、たぶん正確だ。
妻はまた雑誌を読み始め、筆者は音量を少しだけ下げた。
いや、わかってる。こういう音楽は普段聴かない人には理解しづらい。怒鳴ってるし、長いし、展開も謎だし、何を伝えたいのかも掴みにくい。でも、なんかいいんだよ。説明できないけど、いい。
わけわかんないのに、胸の奥で「わかる」って思っちゃう。たぶんそれがenvyの正体なんだ。何十年聴いてても、魅力を正確に言葉にできたことがない。でも、それでも誰かに伝えたくなる。この音を好きだっていうことを、妻に、いや、たぶん世界に証明したくなる。envyからしたら、そんな布教なんていらないだろうけど。それでも1ミリでも伝えたい。この“何かが震える感覚”を共有したい。
そう思ってスピーカーの音を少し上げた。
筆者にだって譲れない事はある。妻にとってはしつこいかもしれないが、多分それが筆者にとってのハードコアなのだ。・・・と思う。
という訳で本日は興味が無い人には魅力を伝えることが難しいバンドenvyについて書かせていただこう。
ハードコアが叫ぶ理由
「なんでこの人たちは叫んでるの?」あまりに自然すぎる妻の疑問。ハードコア=叫ぶというスタイルが“当たり前”になってしまった筆者が考えもしなかった疑問。きっとハードコアといジャンルを初めて聴いた筆者も同様の疑問を抱いたはずだが、「これがハードコアだもんね」と勝手に納得して早うん十年。
確かに謎だ。妻だけではない。おそらく 全人類が一度は疑問に思うことだ。
筆者も改めて一瞬考えた。悲しみとか怒りとか、そういう強い感情をぶつけるには、叫んだほうが“それっぽい”。音楽的にも直感的だ。それっぽいに越したことはない⋯いや、違う。そんな浅い理解では、envy の格を落としてしまう。なんかもっとこう、精神的な、いや、うーん。
そもそも妻にその“叫び”の本質を説明しようとしたのが間違いだ。むしろ、ハードコアに対して何を今更「なんで叫んでるの?」なんて聞いてくる妻自体がナンセンスである。そんなこと気にせず「なんかよくわからないけど、めっちゃカッコイイ!!」みたいなフィーリングで聞いている感じだし、ガチでハードコアを理解して共感している層なんて危なそうで筆者は近づきたくない。筆者はライトな人間だ。
しかしながら筆者にも“少しだけ人より音楽が好き”という見栄もある。筆者は言葉を選びながら答えた。
「どうしようもなくなった人間は、もう叫ぶしかないんだよ。怒ってるとか悲しいとかじゃなくて、言葉が追いつかないときに、心が勝手に声になるんだ。」続けて言う。
「ハードコアってさ、感情を上手く伝えようとしてるんじゃなくて、ありのままぶつけようとしてる音楽なんだ。歌詞じゃ間に合わない瞬間に、心の温度ごと声を放つ。あれは怒鳴ってるんじゃなくて、“それでも生きてる”っていう息みたいなもんなんだ」
きっとenvyのボーカル深川もそんな感じで叫んでるはずだよ・・・。きっと・・・。
メイビー⋯。
妻はコーヒーを置いて言う。「でもさ、クレーマーの人たちも叫んでるよね。
あの人たちも何かを伝えたいんじゃないの?」
筆者は黙った。……たしかに、あれも“叫び”だ。自分を通したい声。他人にぶつける声。
とにかく過剰にサービスを要求し相手を屈服させるための声。もしかしてハードコア⋯?いや、ハードコアの叫びは、そうじゃない。誰かに届かなくても出てしまう声だ。
「うーん、近いけど微妙に違うかな。クレーマーは“わかってほしい”って叫んでるけど、深川は“わかってもらえなくてもいい”って叫んでるんだよ。」
妻が首をかしげる。
「わかってほしくないのに、なんで音楽にするの?」
筆者は苦笑しながら答えた。
「たぶん、それでもね、
どこかで“同じように叫んでる誰か”がいるって信じてるんだと思う。」
妻は「ふーん」とだけ言ってコーヒーをすする。
理解と無関心が半分ずつ混ざった“ふーん”だ。
筆者は息を吸い、もう少しだけ説明した。
「つまりさ、ハードコアって絶対的な信念さえあれば、何を叫んだっていいんだよ。
世の中への怒りをステージでぶちまけてもいいし、
行き場をなくした気持ちを路上で吐き出してもいい。
弱さをさらけ出したっていいし、世界の中心で愛を叫んだっていい。」
妻は笑いながら言った。
「なんか急にロマンチックじゃん。」
筆者も笑った。
「いや、ロマンチックも立派なハードコアなんだよ。」
スピーカーの音量を少し上げると、リビングの空気がわずかに震えた。
理解されなくてもいい。伝えるための叫びじゃない。生きてる証拠としての叫びなのだ。
envyは叫んでいるだけのバンドではない
「叫んでいるだけなら、そこらの喧嘩と変わらない。」 なんて言ったらファンに怒られるかもしれないけど、正直なところ、初見の人はみんなそう思うはずだ。でも、筆者が本当に言いたいのは、その「叫び」の背景にある、めちゃくちゃ綺麗で切ない「音の物語」についてなんだ。
「ねえ、ちょっと聞いて。このイントロ、すごく良くない?」 筆者は、叫びが始まる前の、キラキラしたギターの重なりを指差した。
「あ、本当だ。綺麗だね。……これなら普通に聴けるかも」 妻が雑誌から顔を上げた。よし、掴みはオッケーだ。
この曲の始まりは、どこか神聖ですらある。 まだ誰も踏んでいない雪道というか、夜が明ける直前の、あのピリッとした空気。光がじわじわ差し込んできて、世界がゆっくり色づいていく感じ。ここまでは「怖くない」。むしろ、心が洗われるような「癒やし」すらある。
そこへ、歌ではなく、低い「語り」が重なってくる。 メロディに乗せて綺麗に歌うのをあえてやめて、一言一言を噛み締めるように置くスタイル。
「あ、なんか喋り始めた。……何、ポエム?」 妻がまた不思議そうな顔をする。
「これは『語り』だよ。メロディに乗せちゃうと嘘っぽくなるような、本当の気持ちをそのまま届けるための、彼らなりの誠実なやり方なんだよ」
このボソボソ言ってる部分こそ、僕たちの「日常」そのものだ。深夜に一人で考えちゃうような、まとまりのない思考。それがこの綺麗なギターと混ざることで、ただの独り言が「特別な祈り」みたいに聞こえてくる。
……ところが、その穏やかな時間は、唐突にブチ壊される。 「あ、やっぱり叫び始めた! ……やっぱり怒ってるじゃん。急に怖いんだけど」 「いや、怖くないんだって! これは怒りじゃなくて、さっきまで大切に積み上げてきた言葉が、もう溢れ出しちゃった瞬間の爆発なの! スイカに塩をかけると甘くなるでしょ? あの原理!」
必死にスイカの例えを持ち出す筆者に、妻は「塩かけすぎ。高血圧になるよ」と一蹴した。
筆者は自問自答する。 なんで彼らは、あんなに綺麗な夜明けを見せておきながら、それを自ら引き裂くように絶叫するのか。
でも、考えてみてほしい。 僕たちが迎える「朝」は、決してキラキラした旋律だけでできているわけじゃない。今日を生きる重圧とか、不安とか、そういうドロドロしたものが身体の底に溜まってる。あの美しさに耐えきれなくなったとき、心はどうしたって声を上げてしまう。
叫びは暴力じゃない。語りという「理性」が、溢れ出す「感情」に飲み込まれた、必然の結末なんだ。
「でも、結末が毎回これ(絶叫)なの? 情緒不安定なの?」 妻の言葉が突き刺さる。 情緒不安定。……まあ、そうかもしれない。でも、僕たちの感情だって、本当はこれくらいグラグラなはずだ。ただ、大人をやるために「普通」を装ってるだけで。
envyは、その化けの皮が剥がれた瞬間の音を鳴らしている。 だから「怖い」と感じるのは、自分の中の「隠しておきたい部分」を見せられているからかもしれない。
「……ねえ、のど飴あげたくなるよね、やっぱり」 妻の慈愛に満ちた一言に、筆者は完全に沈黙した。
ラーメンで例えるenvy
「のど飴、あげたくなるよね」
妻のその慈愛に満ちた一言を、筆者は冷めきったコーヒーと一緒に飲み込んだ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。筆者は最後の手札を切ることにした。
「……いいかい。envyをただの『うるさい音楽』だと思うのは、二郎系ラーメンを『ただの野菜の山』だと思うのと同じくらい、もったいないことなんだ。彼らは時代ごとに、その味をストイックに深化させてきたんだよ」
妻が「え、急に歴史の話?」という顔でこちらを見た。よし、食いついた。
『Breathing and Dying in This Place...』
「まずはこれを聞いて。1990年代後半、彼らが世界に突きつけた初期の衝撃だ。ラーメンで言えば、**『極限まで沸騰させた、具なしの熱湯塩スープ』**だよ。 お洒落な具材や背脂なんて一切ない。器の中には、喉を焼くような熱いスープと、硬く引き締まった麺だけ。媚びることを自分に禁じた、剥き出しの覚悟だけを啜るような一杯。この潔い強さが、当時のキッズたちの魂を撃ち抜いたんだ」
『All the Footprints You've Ever Left and the Fear Expecting Ahead』
「そして2001年。ここで彼らは、スープそのものに、とんでもない深みと広がりを加えてきた。見てよ、この感情の起伏。単に激しいだけじゃない。地平線まで見渡せるようなスケールの大きな旋律が、叫びと並走し始めるんだ。 さっきまでの『熱湯』の中に、夕焼け空のような色彩が溶け出した感じかな。確かに叫びは激しい。でも、その背後のギターは、形容しがたい美しいグラデーションを描いている」
妻も、心なしかさっきより集中して聴いている。 「確かに、さっきより音が『広い』感じがする。叫んでるんだけど、不思議と景色が見えるというか……。色が混ざってる感じがするね」
『A Dead Sinking Story』
「その次がこれ。2003年、彼らはさらに深い精神性の深淵へと潜り込んでいく。前作が感情を盛り付けた『濃厚な一杯』だとしたら、これは『深夜を彷彿とさせる、圧倒的なコクと切れ味を両立させた極上スープ』だ。 静寂と爆発のコントラストがより過激になって、その狭間で叫びが『泣き』に変わっていく。深夜、一人で自分と向き合っている時に、ふと溢れ出してしまうような、どうしようもない感情。そのコクの深い悲しみが、鋭い切れ味となって心に突き刺さってくるんだ」
『Recitation』
「その後、彼らはさらに境地に達する。これは『究極の淡麗系スープ』。圧倒的な透明感があって、世界が白っぽく、どこまでも透き通っている。雪深い森の中の礼拝堂にいるような、神聖な美しさなんだ。 でもね、スープ(演奏)はこれほどまでに繊細なのに、そこに放り込まれる麺(ボーカル)は、相変わらず極太麺なんだ。ただ、初期の麺が喉を傷つける『凶器』だったとしたら、今の麺はもっとしなやかで、この白い世界を支えるためにあえて選ばれた『必然の太さ』に変化しているんだよ」
『The Fallen Crimson』
「そして最新のenvyは、いわば『特製全部入り・究極のトリプルスープ』だ。何がすごいって、厨房にギターという名の職人が3人もいるんだよ。一人が繊細な出汁(メロディ)をとり、もう一人がガツンとしたコク(歪み)を加え、さらにもう一人が、空間を彩る香味油(残響)を注ぐ。 初期の鋭い赤、中期の豊かな色彩、そして『Recitation』の透明な白と神聖さ……。これらすべての歴史が、3人の職人の手によって完璧な黄金比で調和し、巨大な光の洪水になっている。器から溢れ出しそうな情報量なのに、後味はどこまでも澄み渡っていて、最後には一筋の希望が残る。もはや、一杯のラーメンを超えて『人生の景色』そのものなんだよ」
「さっきのスイカの下りみたいなもんで、叫びという『毒』があるからこそ、メロディという『薬』が効く。この過剰なまでのバランスこそが、envyという一杯の正体なんだよ」
妻は雑誌を閉じて、少しだけスピーカーを見つめて言った。 「要するに、食べるのに相当な気合が要るけど、一度ハマると抜け出せないってこと?」
「そう! その『気合』こそがハードコアなんだ!」
筆者は、ようやく一筋の光が見えた気がした。リビングに流れる音。その重厚な歴史と、職人たちが織りなす圧倒的な音圧。それが今は少しだけ、彼女にとっても「意味のある景色」として映っている……ような気がした。
本当にこれで正解かはわからないけど⋯。



